友達は気を使うのが得意だ。相手を立てたり、お世辞を言うことを飄々とやってのける。自分に自信があるのだろう。でも自分は好かれたくないのなら、くどいくらいのお世辞を言って嫌われるべきでは?とりあえずストックしておこう。すごいですね、かしこいですね、とんでもないです…あとは1日一善から始めよう。

周遊は楽しい。話が楽しい相手だと特に。名古屋は日本一の工業都市です。町は東京のミニチュア。暴走車社会で建物大。列車は十分に一本で混まない。

ビジターになると自分のキャラについて考えさせられる。静かで聞き上手、マナーをしっかりできるようになろう。

 

一週間後はゼミ合宿。予定どうなってんだろ。一ヶ月後は履修期間。横手に行けるのか?バイトはやめてるのか?

 

明日のリスクヘッジ

・配布管理の指示が出せない→小野さんライン注意→帰ってきたらツールについて指示を仰ぐ

・出発時間遅れる→遅れたら早めにライン

・歩くの疲れて遅れる→我慢

・勉強会何をすればいいのかわからない→自己紹介、個人目標、アイブレか共有

・元行さんへの心遣い→お菓子屋入る

・泊まっているひとへの心遣い→話きく

・気持ちのよい別れ→布団や皿の後片付け、朝食の手伝い

・新幹線内荷物→

・ライン返せない→少しずつ返す

ボランティア論

先日のタイの話、なんだか今となってはいい思い出になっていた。友達にも感謝している。なんというか、世界は狭いんだなって、少し思った。成田からバンコクまで5時間と少しで行けて、グーグル翻訳を使えば会話もできる。それでもやっぱ匂いとか、人柄とか、異郷の地。異世界に行くって楽しい。中学生の頃、甲府とかにただ行って帰ってくるだけしたのも、普段の生活とは違う、異世界を体験したかったからである。ああ、これは今大学でやってるやつだ。秘密基地作ったでしょ、なんてそんな経験ねーよって思ったけど、あったんだな、なんだかイライラしてきた。

これだけでひとつのブログになる長さになっちゃった。本題のボランティアについて、ちゃちゃっと書こう。自分はボランティア団体に所属している。自分は確かにボランティアが好きなのだろう。しかし、ボランティアは高尚なものだなんて思ってない。(余談だが、先日同期と飲み会をして、ぼくは生を解禁しただけでなく、加えてジントニックを飲んだのだ。楽しかった。)ボランティアはあくまで受け入れてくれる側(依頼する側でもあるが、助けられる側ではない。)がいないと成り立たないのだ。現地の人に、貴重な体験をさせてもらえ、現地の人と交流させてもらっているのだ。だから好きだ。あと、好きな理由としては、思いっきり汚れられること、言われた仕事をやるだけで役にたてること。これは広島のとき思った。言われた仕事をやるだけでも、人がいないより役に立つ。ボランティアはバカでもでにるるきる。だから、仕事としては成り立たない。逆を言って、学生がやるべきだ。ちなみに、NPO団体もボランティアみたいなもんだと思ってる。だから、ちゃんとした仕事としては成り立たないと思ってる。(思いっきり侮ってます。ごめんなさい。)あと、好きな理由。それはやっぱり長野の山林や広島の豪雨被災地は、自分にとって異世界だからだろう。

タイにて

正直、退屈である。

お金がなくてなにもできないのである。もどかしい。せっかく高いお金を払い遠い距離を来たのに。うまくいかないものだなあ。

原因は明らかである。我々の未熟さ故である。経験が全くなかった。手探りの状態で、いや、手探りも不十分に始まったこの旅行、備えなければ憂いありである。

友達は日本から二万円しか持ってきてなかった。文面なのでいうが、ふざけるなである。まあ、自分もクレジットの暗証番号がわからなかったりとふざけているのだが。

友達も反省している。彼のすごいところは常に前向きである。しかし、自分はそんなものには憧れない。自分の感情には素直でいたい。まあしかしだからと言って俺のせいで会話はない。だってそんな山梨の高校の話ばっか聞きたないもん。始めてよしやのマシンガントークに感謝した。

まあ、自分にも非はある。出会ったタクシーのおじさんにつれられて二日目アユタヤを廻ったのだが、遺跡行きまくりボートも乗るわの豪遊である。お金が心配?いやいや、これはおっちゃんが予約したので断れない。しかも幸運の贈り物(笑)を1000バーツで買わされた。くそっ、これがぼったくりというものか!昔から「後藤は将来絶対騙されるよ~」と言われていたがこういうことだったのか!

おっちゃん。悪い人ではないんだよ。ごはんもおごってくれた。でもなぜだろう。無償の愛ってないんだなーって思わせてくれるんだよ。チップを取る文化のせいかしら。

自分は未熟だ。内面だけではない。みかけもだ。これは悪いが日本人のDNAのせいだ。低身長、童顔。なめられる。でもなめられてしかるべきだ。平和ボケで消極的。ああ日本人って。

まあ生きて帰れるかを心配してた昨日の夜に比べて、今日は希望がでてきたよ。散歩しただけだったけどなんかでかい市場に行けたし。楽しかった。まちがいなく、お金があれば、もっと。スコールも見れた。

初めての海外旅行、失敗するだろうな、と思って1人じゃなくて二人で行ってるんだし、実際それで助かってるし、いい経験になったし。そうだんだんと思えてきた。

明日はもっとタイらしいことがしたい。でもタイらしいことってなんだろう。水上マーケットはマーケット行ったからある程度満足だし、現地の暮らしを見ようにも、タクシーのおっちゃんと話せたことは間違いない財産だし、食べ物を食おうにも、言っちゃなんだが俺はタイ料理が得意でない!…案外ニューハーフショーを楽しみにしてた自分がいることに気がつかなくもないが。

 

 

うっかり

自分はうっかり屋であるとつくづく思う。

というか注意力散漫である。というか阿呆である。

なぜだろう。普段野球やアイドルのことを考えながら歩いているからだろうか。

dvd再生しながら時間を潰そうとしていたら、ブルーレイであった。

なるほど、こういうミスもあるのか。犯して初めて実感する。

きっと僕がミスなく生きるには、ありとあらゆるミスをしらみ潰しにしていくしかないのであろう。いや、同じミスもしまくるから意い味がないか。

この間も、合宿中停めっぱだった自転車を取りに、鍵を持って家をでたら、別の鍵をとってきてしまい、引きずって帰ろうかと思ったが途中で諦め帰って出直して、これだ、と思うものをかけて見たら違くて、結局元の駐輪場に戻した。

この面倒臭さ、伝わるだろうか。

親からも、「あんたは本当に時間とカネを無駄にして生きるよね」と言われる。

全く持ってその通りである。

だから最近は家計簿をつけ始め、余計な出費がされてないか調べることにしている。いつまで続くか分からないが。

でも、どうだろう。そんなに効率を求め計算しつくして生活するのは幸せなのだろうか。

何も考えず、成り行きのまま、欲望のままに生きることの方が幸せなのではないだろうか。

そう考える人のことを、世間はバカとか子供とかいうのだろう。

趣味について

趣味というのは、人にバレた分だけ好きではなくなってしまう気がする。

誰にも知られていない趣味なら、それをするときは100%自分がそれをやりたかったからだといえる。

しかし、人にバレた瞬間、人と話題を合わせるため、もしくは人が持っている自分のイメージと合わせるためにそれをしているのでは、と感じる。

そんな趣味は空しいと思う。

だから基本的に趣味は一人でやるべきだ。気を使わないし。

趣味はなんですか?と聞かれたときのために、公表する趣味としない趣味をつくっておく。僕の趣味は野球観戦だ。野球観戦は犠牲となった。

しかし最近は困ったこともある。

人がその趣味について話しているとき、口を挟まずにはいられなくなってしまうのだ。ここで口を挟まなければ、自分に対してウソをつくことになる、そう思う。

まさにアンビバレントである。

また、それに飽きた瞬間、過去の自分を裏切ってしまうようで怖い。そして強迫観念でその趣味をしているように感じるときもある。

趣味とは自分の心が本当に必要なとき、必要なだけ、何の縛りもなく自由にしたいものだ。

こんなに語ったが、今の一番の趣味はアイドル観賞である。明らかに考えすぎである。

 

''なんでも相談してね''の弊害

''相談する''とは、現状抱える問題を晒け出し、相手と原因は何かを探し、その上で解決方法の発見までもっていくことだ。

私は頻繁に原因の究明や解決方法の発見を目標としていないのに相手に相談することがある。つまり、現状抱える問題を晒け出すことをする。しかも、ここでの問題は自分の精神的負担にとどまる。それはもはや''相談''ではない。''弱音を吐く''ことだ。

弱音を吐くことによって得られるもの、それら慰めである。慰めによって人は安心する。このままでよいのだ。しかし、このままではよくないことは分かっているはずである。そうであるからこそ、精神的負担や解決すべき問題を抱えていることになり得るのである。弱音を吐くことによる得はひとつもない。

''弱音を吐く''の対局に位置するものは''虚勢を張る''であることである。もちろん、問題解決は現状を晒け出す所から始まるのだから、このような態度は望ましくない。しかし、弱音を吐くことよりは役に立つ。虚勢の威厳は自分でも嘘だと分かっているのである。嘘はばれたらまずい。そのため、虚勢を張った人間はその上っ面に実際を合わせようと努力するのである。解決方法を捻りだし、改善するのである。

困った時は何でも相談してね、優しい先輩方はそう言う。しかし、何でも相談してはよくないのだ。原因究明と解決方法の模索をする気があるときだけしか相談してはならないのだ。さもなくば''弱音を吐く''ことになる。だったら虚勢を張った方がよい。なにか上手くいかないことある、と聞かれたら、ありません、と返せばいい。

「そろそろ仕事覚えないと…」「結構シフト入れてるから大丈夫だよ」そんなやり取りのなか、改めて思ったことである。